テンシュテットとロンドンフィルのさすらう若人の歌と交響曲第１番
◎マーラー さすらう若人の歌（※） <1991.9.26> 交響曲第１番 <1985.2.12> トーマス・ハンプソン（バリトン：※） テンシュテット指揮，ロンドンフィル 英London Philharmonic Orchestra LPO-0012 昨年からリリースの始まったロンドンフィルの自主制作レーベルでの最新盤 です。いずれもロイヤル・フェスティバル・ホールでの演奏会のライヴ録音で BBC Radio 3 によるアナログ録音の音源からのＣＤ化です。 収録曲のうち，さすらう若人の歌はＣＤ−Ｒ盤で発売されていたことがあり， テンシュテットの同曲の唯一の録音です。また，同日の演目のベートーヴェン の英雄交響曲は１０月３日のライヴ録音と編集したものがＥＭＩからＣＤ化さ れています。交響曲第１番の方は初登場音源になります。 さっそく聴いてみると，最初のさすらう若人の歌では，ハンプソンの独唱は 濃厚で安定感のある声色で堂々かつ明快に歌い上げており，演奏への集中度も 高く，まずは非の打ち所のない出来映えであり存分に堪能できるものでのです が，あえて難を言えば，いまひとつ表情の変化や陰影に乏しいと思えることも あって，このあたりは聴き手の評価が分かれるかもしれません。 一方，テンシュテット指揮のロンドンフィルは，中庸からやや遅めのテンポ で，入念かつ多彩な表現で作品の世界を鋭敏に描き出しており，アンサンブル は多少弛めの印象ではあるものの，響きには独自のソフトな感触と充実感があっ て聴き応えがあって，この作品の希に見る充実した演奏が聴けるのではないか と思います。 続いて収録されている交響曲第１番では，第１楽章の冒頭はなんだか眠りか ら覚め切れていないような，ややちぐはぐな印象の演奏で始まり，特に楽章の 前半の弱音部分は録音のせいもあるのか，いまひとつ明快さに欠ける印象なの ですが，それがトランペットのファンファーレで一気に目が覚め，一転して鮮 烈な演奏となって一気呵成に楽章を終えています。 第２楽章になると，鮮明なアクセントとともに旋律を刻み込んでおり，表現 意欲が横溢する，大変に積極的な演奏を展開しており，トリオの部分でも明晰 な響きとともに，旋律に小粋なひねりを利かせた刺激的な演奏を聴かせていま す。 第３楽章では，葬送行進曲風の旋律を淡々と進めながらも，響きの鮮明さや ソロのアクセントには表現主義的な表出力がありますし，トリオでの旋律もふ るえるように描き出しているのも印象的で，この楽章の心穏やかならぬ哀愁の 世界を巧みに表現しているのではないかと思います。 最後の第４楽章は，冒頭の一撃から嵐のように吹きすさぶインパクトのある 演奏で突き進んでおり，録音のせいもあって低音がドスンドスンと床に響き， １７６小節目からの Sehr gesangvoii! と記された箇所（３分３６秒）からは 思いの丈をぶつけるような感情移入とともに大きくうねる旋律線を描き出して いて心打たれます。 再びトランペットのファンファーレを迎えた後は，アンサンブルにも緊張感 が漲り，第１楽章の冒頭が回想されるところも，この演奏の開始直後とは一変 して集中度の高い緊密なアンサンブルとなり，透明感のある美しさの傍らに無 常観の漂う演奏を聴かせていて見事ですし，さらにファンファーレの後はテン ポをゆったりと変化させながら怒濤のクライマックスを築き上げ，もうエクス タシーと紙一重の壮麗なカタルシスとともに終結を迎えており，終了と同時に 聴衆の咆吼混じりの大喝采が湧き起こっていました。 こうして聴いてみると，収録されている２つの演奏はいずれも大変見事なも ので，１９９１年のさすらう若人の歌は，晩年のテンシュテットのいっそう入 念で作品描写の鮮やかな演奏は息を呑むばかりで，ハンプソンの独唱も満点と はいかないにしても集中度の高い熱唱を聴かせていました。 交響曲の方は，第１楽章の前半はいまひとつはっきりしない印象があったも のの，その後はテンシュテットの作品に対する深い理解と共感と，さらには指 揮者としての技量が最大限発揮された，類い希な充実度とインパクトと表出力 を有した，テンシュテットの同曲の他の録音が霞んでしまうほどの強烈な演奏 でした。 音質については，いずれもアナログ録音であり，この時期の録音にしてはヒ スノイズも目立ちますし，録音が不安定なところがあって音像が揺れたり，ノ イズレベルが変動したりしますし，特に交響曲ではトランペットの音が潰れた り，低音の解像度が無くボンボンという塊のように聴こえたりしており，これ らは当然，録音上の不備ということになるのでしょうし，レコード会社がＣＤ 化するのはためらわれる録音なのだろうと思います。 しかしながら，これほどの名演であれば音質上の不備はあっても何としても 発売すべき録音ではないかと思いますし，幸いなことに今回のＣＤ化に当たっ ては音源に余計な手を加えていないようで，音色や響きのニュアンスともども 生々しい演奏体験ができるのが嬉しいところで，個人的には同じＢＢＣの音源 を使用したＣＤ化で先行している BBC Legend よりもずっと好ましい音質だと 思います。 そんなわけで，このＣＤはテンシュテットの数多い録音の中にあっても，そ の演奏の見事さやインパクトの強烈さにおいて比類のない必聴の１枚として強 力に推薦したいと思います。
2006.6.4
