これは昨年のLa Capitale d'Eté, Baden-Baden 2025(夏の首都 バーデン・バーデン2025)において、バーデンバーデン祝祭劇場で行われた演奏会のライヴ録音です。7月4日と6日の演奏から収録されており、それぞれのプログラムは以下のとおりでした。
両曲とも未完成作品であるため、使用している版が問題になるのですが、レクイエムはドイツの音楽学者のミヒャエル・オストリツィガ(Michael Ostrzyga)が、ジュスマイヤー版を基本としつつ、補訂・校訂した版で、当日のプログラム冊子には“In der Fassung von Franz Xaver Süßmayr, vervollständigt und herausgegeben von Michael Ostrzyga”(フランツ・クサーヴァー・ジュスマイヤー版を、ミヒャエル・オストリツィガが補完・校訂した版)との記載がありました。ラクリモサに続いてアーメン・コーラスが入っています。 大ミサ曲は、ザルツブルク・モーツァルテウム財団の研究者で、現在のモーツァルト研究を代表する音楽学者の一人である、ウルリヒ・ライジンガー(Ulrich Leisinger)が復元、補筆、編纂したもので、2019年にベーレンライターとモーツァルト財団から出版されているものです。 これはフィジカルメディアでの発売はなく、配信のみのリリースで、その中で最も高音質の192kHz/24bit PCMのハイレゾを入手し、これをWAVファイルに変換したもので聴くことにしました。 それでさっそく聴いてみたのですが,室内管弦楽団と言うこともあって、作品に対してオーケストラの規模もほどほどで,響きのスリムさや演奏のキレなどは,ピリオド的なアプローチの取り入れられた演奏をしているのだろうと思われますが、聴いていて違和感や抵抗感といったものを感じずに、心置きなく作品と演奏とを聴き入ることができることに嬉しい驚きを感じてしまいました。 21世紀の最初の四半世紀を過ぎた今現在において、モーツァルトのレクイエムや大ミサ曲を規模の大きいモダンオーケストラによって演奏された幾多の名盤名録音を今聴くと、その演奏の素晴らしさや表現力や説得力にはいささかな陰りもないのですが、今の時代にはマッチしないなという感があることも否めません。 他方、前世紀から現在に至るまで、いわゆるピリオドインスツルメンツによる演奏や録音も重ねられてきているところで、響きは清新でセンシブルですらあり、演奏は明快で切れが良く、作品本来の姿に近づいているのではないかとも思う一方で、これはあくまで現代の感性による演奏であることと、響きが痩せ気味の傾向にあり、表現力の幅が小さく、特定の方向に傾きがちで、深い表現にまでは至らないのではないかとも感じていたところでした。 それに対し、今回の演奏は室内管弦楽団を演奏して、使用する楽譜も、演奏法もしっかり検討されて、これを高い次元で咀嚼し、演奏表現として実現するということができているために、違和感や抵抗感を感じることなく聴くことができているのだと思われます。 また、これは個別の演奏解釈の範疇かもしれませんが、フォルテで声を張り上げるということがなく、その手前の十分にコントロールできる範囲で演奏されており、しかもそれによって表現の幅が狭まるどころか、表現力や妥当性を増していて、むしろ感動は深まっているとすら感じてしまったのでした。 今回の演奏では、指揮者とオーケストラのみならず、RIAS室内合唱団の引き締まった反応のよい表現や、独唱陣のボリューム感を抑えた適時的確な歌いぶりもふくめて全体のコンセプトが統一されており、聴いていて間然とするところがありません。そのため個人的には、今現在においてモーツァルトのレクイエムや大ミサ曲をどのように演奏すればよいのかということへの素晴らしい模範解答に思えるのです。 この録音を聴いてこれほどまでに明快な印象形成ができて、さらには感動できているのは,192kHz/24bitのハイレゾの音質が非常に優秀なことで,リアリティ,ソノリティの再現,音のキレ,音像の小ささ,細部の明瞭な再現など,全く申し分の無い音で聴くことができており,この音で聴けているからこその感動なのかもしれません。 そんなわけで,これは突如現れた、モーツァルトのレクイエムや大ミサ曲の素晴らしい名演名録音であるだけでなく、今現在においてどのように演奏するべきかということに対して、一筋の光明を指し示しているとすらいえる、画時代的名演として強力に推薦したいと思います。 2026.7.26 |