小林有沙のデビューＣＤ
◎シューマン 幻想曲 献呈（リスト編） リスト 巡礼の年第１年「スイス」～郷愁 オーベルマンの谷 愛の夢第３番 変イ長調 小林有沙（ピアノ） <213.8.20-22> TRITON OVCT-00102 オクタヴィアレコードのTRITONレーベルから，若手女流ピアニストの小林有 沙（1987-）のデビューＣＤが発売されました。 小林有沙は，桐朋学園大，ベルリン芸術大，ウィーン国立音大のポストグラ ディエートコースなどで学び，昨年から国内に拠点を移して演奏活動を開始し ています。 収録されている作品は，シューマンの幻想曲をメインに，シューマン／リス ト編の献呈，リストの郷愁，オーベルマンの谷，愛の夢第３番で，特にシュー マンの幻想曲は，かねてよりデビューＣＤで演奏したいと考えていた作品との ことです。 さっそく聴いてみると，いずれの作品の演奏においても非常に安定感があり， 技術的な不安を感じさせることは全くなく，それぞれの作品をどう演奏するか について十分に検討され，弾き込まれているために，自身の率直な演奏がスム ーズに展開されているといった感があります。 最初のシューマンの幻想曲は，デビューＣＤで演奏したかったという，小林 有沙にとってもこだわりの作品なのだろうと思いますが，非常に爽やかで気持 ちの良い演奏で，テンポやフレージングを微妙に変化させながら，弛緩するこ となく巧みに演奏を組み立てているといった印象があります。 一方で，この作品の演奏としてはあっさり目の感は否めないのですが，特に 印象深いのは，ゆっくりとしたフレーズでの間合いの絶妙さや，デリケートな 表情のフレッシュな味わいで，これは作品に対する率直な共感の表れではない かと思いますし，聴いていてじんわりと心温まるものがありました。 次の「献呈」でも，非常に丁寧なアプローチを行っており，スムーズに流れ るだけでなく，夢見るような表情や，感情の高ぶりや，思い入れがストレート に表出されており，心洗われる思いで聴くことができました。 リストの「巡礼の年 第１年スイス」からの「郷愁」と「オーベルマンの谷」 も，深い余韻とともに作品のストイックな心象風景を巧みに描き出しており， 叙情的なさすらいの風景から，エモーショナルな心情の吐露に至るまでのドラ マを，間然することなく表現し得ている，真っ直ぐな聴き応えを感じるもので した。 最後にアンコールのように収録されている，愛の夢第３番は，この作品独自 の夢見るような幸福感と高揚感を，豊かな共感を持って，弾き崩すことなく， 巧みにコントロールされた，端然とした演奏で聴かせており，心震える思い出 聴かせてもらいました。 こうして聴いてみると，小林有沙の演奏は，作品に対するアプローチや演奏 姿勢が非常に素直で誠実であり，さらには作品の中から豊かな共感や幸福感を 掬い出すフレッシュな感性があり，それが過不足のないテクニックによって十 全に描き出された，大変に魅力的で完成度の高い演奏を聴かせてくれていると 思います。 とはいえ，忌憚のないところを言えば，響きのバリエーション，ボリューム 感，力感，リッチネス，深いロマンティシズムやシリアスさ，表現の強度といっ た点については，まだまだ大家の演奏のようにはいかないのも事実なのですが， この点については，新鋭ピアニストの伸び代の部分でもありますし，また，自 身の演奏の路線とも関わってくる問題ではないかと思われます。 現在の小林有沙の演奏からは，作品に対する，そして聴く者に対するコミュ ニケーション能力の豊かさを感じますし，これは率直な人間性の表れでもあろ うと思われます。これは自身の大きな財産であり魅力ではないかと思いますの で，ぜひこのまま自身の演奏を深めていっていただきたいと思います。 録音については，ＤＳＤ録音なのに通常のＣＤでの発売なのが残念ですが， 演奏全体の響きを余裕を持って捉えており，再生しやすく聴きやすい音質にま とまっていると思います。敢えて難を言えば，小振りで淡泊な印象があるとい うところでしょうか。 そんなわけでこれは，小林有沙の率直でフレッシュな演奏を良好な音質で聴 くことのできる，心洗われる１枚として強力に推薦したいと思います。
2014.1.25
