河村尚子のショパンのバラードとリスト編の作品
◎ショパン バラード第１〜４番 ショパン（リスト編） 乙女の願い いとしき娘 シューベルト（リスト編） ます 糸を紡ぐグレートヒェン 水車職人と小川 ワーグナー（リスト編） イゾルデの愛の死 河村尚子（ピアノ） <2013.7.24-27> RCA SICC 10191 (SACD Hybrid) 現在は，ドイツと日本を往復しながら演奏活動を行っている河村尚子の新譜 です。２００９年にＲＣＡからメジャーデビューしてから，これが３枚目の録 音となります。嬉しいことに過去２枚と同様に今回もＳＡＣＤハイブリッド盤 での発売です。 今回は，ショパンのバラード全４曲と，リスト編のショパンの歌曲が２曲， リスト編のシューベルトの歌曲が３曲，そして最後がリスト編の「イゾルデの 愛の死」となっています。歌曲の編曲はもちろんピアノソロでの演奏ですが， 解説書にはなぜか歌詞対訳が付されています。 それでさっそく聴いてみると，最初のショパンのバラードでは，あまりきら びやかにならない，落ち着いた響きで冷静沈着に弾き進められており，感情の ほとばしりを露わにするようなこともなく，十分に検討されたプランに基づい て，的確な演奏が行われています。 テクニックの面での不安もなく，余裕を持ってコントロールされているので， 安定感や安心感がありますし，譜面を的確に再現した，構築性のある，信頼性 の高い演奏であり，その意味では演奏水準は非常に高いのですが，詩情やパッ ションといった，感性や感情に訴えるものがかなり仄かにしか表れないため， それを静かに味わうことができる聴き手にとっては非常に魅力的な演奏だと思 います。 しかしながら，ショパンのバラードに対する一般的なイメージというか，聴 き手の期待というものからすると，何も起こらない演奏とでも言えばいいのか， 聴いていてもいまひとつ心動かされない，煮え切らない演奏のように思えてな らないのも事実です。 続いて演奏されているリスト編のショパンの歌曲では，「乙女の願い」は屈 託のない明朗明快で開放的な演奏で，リズミカルなメロディラインが魅力的で あり，「いとしき娘」では，リリカルで優しいニュアンスに溢れた，心に染み 入る演奏を聴かせてくれています。 次のリスト編のシューベルトの歌曲では，「鱒」はキラキラと輝く水面を思 わせるような，粒立ちの良いタッチとともに生き生きとした表情で聴かせてお り，「糸を紡ぐグレートヒェン」では重苦しい情念をシリアスな味わいととも に描き出しており，「水車職人と小川」でも打ちひしがれた水車職人と，明る い希望を語る小川との対話を巧みに語り出しており，いずれも作品に対する静 かな共感が感じられるものでした。 最後のリスト編の「イゾルデの愛の死」は，じわじわと迫り来るドラマとカ タルシスを，クッキリとしたタッチとコントロールで明快に描き出しており， ややスタティックな印象ではあるものの，しなやかで美しい「愛の死」の世界 を表現し尽くしていたように思います。 こうして聴いてみると，いずれもドイツで学び育った堅固な構築性と実直さ に，日本人的な控えめな表現が加わったとでも言うべきか，優れたテクニック と解釈による，曖昧さがなく明瞭で，力感にも不足のない秀逸な演奏であり， １つの演奏スタイルとして全く申し分のない，高い完成度を有していると思い ます。 これで問題になることがあるとするなら，その演奏スタイルと，作品の性格 との相性に関してで，特にショパンのバラードにおいては，こういう演奏のス タイルがあってもいいですし，これはこれで魅力も感じますし，積極的に評価 もしたいとも思いますが，それでも上述のように詩情やパッションが際立つよ うな演奏ではないため，どこか物足りなさが拭えませんでした。 また，今回の録音においては，以前の河村尚子の演奏に感じられた硬さがな く，スムーズに違和感なく聴くことができました。また，しっかりとしたタッ チと造形感といった面においてはさらなる向上を果たしているようにも思いま した。 録音については，今年の７月にベルリンのイエス・キリスト教会でＤＳＤ録 音されたもので，実際の演奏を目の前にするかのような，ピアノの響きのリア リティとエネルギー感があって，現代の録音技術の高さをまざまざと感じさせ る秀逸な録音であり，ＳＡＣＤレイヤにおいてそれを十二分に聴くことができ るのですが，ＣＤレイヤではどうしても響きが薄く，テンションが高く聴こえ てしまうので，これはぜひともＳＡＣＤレイヤを聴いてほしいと思います。 いろいろ述べてしまいましたが，これは作品に即した演奏のスタイルといっ た面において評価が分かれるところはあるかもしれませんが，現在の河村尚子 のピアニストとしての高い技量が存分に発揮された，文句なしの内容を有した 録音であり，ぜひとも一聴をお薦めしたいと思います。
2013.11.10
