ホロヴィッツの未発表ライヴ録音の「展覧会の絵」とリストのソナタ
◎ムソルグスキー 組曲「展覧会の絵」 <1948.4.2> リスト ピアノ・ソナタ <1949.3.21> ホロヴィッツ（ピアノ） 独SONY MUSIC (RCA) 88697538852 ソニー・ミュージックのＲＣＡレーベルから，ホロヴィッツが１９４５年か ら５０年にかけてカーネギーホールで行った演奏会のライヴ録音をVLADIMIR HOROWITZ AT CARNEGIE HALL-THE PRIVATE COLLECTION と題して発売されるこ とになり，これはその第１回発売となったものです。 収録されているのは，ホロヴィッツ編の「展覧会の絵」とリストのピアノ・ ソナタという超豪華ラインナップです。「展覧会の絵」は１９４７年のスタジ オ録音と１９５１年のカーネギーホールでのライヴ録音が発売されていますが， リストのソナタは１９３２年のＳＰ録音と１９７６年のライヴ録音があるもの の，全盛期の録音は初めてです。 この録音はホロヴィッツの個人ユースのために，カーネギーホール・レコー ディング・カンパニーという録音クルーによって１６インチ（４０cm）のラッ カーディスクに記録されたもので，現在はイェール大学のウラディミール・ホ ロヴィッツ〜ワンダ・トスカニーニ・アーカイヴに保管されているオリジナル 音源からのＣＤ化です。 さっそく聴いてみると，実にリアルなピアノの音であることに驚かされます。 ディスクのスクラッチノイズは聴こえますが，無理に低減しようとしていない ようで，それによって音の生々しさが保たれているのが嬉しいところです。 この優れた音質で聴くホロヴィッツ全盛期の演奏というのは実に凄まじく， 冒頭のプロムナードから音の輝かしさと，俊敏で軽いタッチ，瞬間毎の強弱の 変化，重音のキレと存在感などに圧倒される思いです。 「小人」の地を這うような低音と人間離れした素早いパッセージに唖然とし， 「古城」では思い切った弱音と遅めのテンポで寂寥感を醸しだし，「チュイル リー公園」での玉を転がすような，軽快で変化に富んだフレージングが微笑ま しく，「ビドロ」ではグイッ，グイッという難儀な足どりで通り過ぎるさまを 臨場をもって描き出し，「殻を付けた雛の踊り」は巧みな速度の変化と多彩な タッチを駆使した鮮やかな表現を聴かせています。 「サムエル・ゴルデンベルクとシュムイレ」では他の曲よりもスタッカート 気味に演奏することで作品を戯画的に誇張しており，「リモージュの市場」で は明るいタッチで快調に弾き進んでいて微笑ましさを覚えますし，「カタコン ブ」では明快で力強い低音の打鍵がシリアスさを醸しだし，後半は静かに祈る ような演奏を聴かせています。 「ババ・ヤーガの小屋」は超人的なテクニックと広汎な表現力を駆使してス トーリーテラー的な世界をつくり出しており，「キエフの大門」では暗さや陰 鬱さを感じさせない，明朗で堂々たる演奏となり，ホロヴィッツの編曲による 豪快なフィナーレで締め括っています。 次のリストのピアノ・ソナタでは，とりわけこの時期のホロヴィッツに顕著 だった，桁違いのテクニックと，聴衆をなぎ倒さんばかりの怒濤のパワーによっ て力で全てを支配しようとするかのような演奏の一方で，絶妙にコントロール され磨き抜かれたフレージングと響きの妙を随所に散りばめ，天国と地獄の間 を行き来するような落差の激しい世界に聴き手を引きずり回すような，問答無 用の圧倒的な演奏には半ば呆然としながら，ただただ聴き入るほかありません でした。 なお，この作品のアレグロ・エネルギーコの途中（トラック１６の９分３３ 秒）で突然曲が飛ぶのでビックリしてしまいました。ホロヴィッツの他の２つ の録音ではこのようなことはありませんでしたが，解説書によると不可解な理 由により２９１〜３１３小節がカットされて演奏されたとのことです。 こうして聴いてみると，両曲の演奏とも聴く前に期待していた以上の，圧倒 的で恐ろしいまでの威力をもった演奏であり，特に展覧会の絵の方は，テクニッ クや表現力を誇示するだけでなく，それぞれの曲に込められた羨望，諧謔，苦 悩，諦念，皮肉といった表現の深層を見事に描き出していることに改めて驚か されましたが，個々まで聴き取ることができたのは秀逸な音質の賜物だと思い ます。 リストのソナタの方も，過剰なまでにドラマチックな演奏を繰り広げており， ホロヴィッツの同曲の他の２つの録音と比較しても，キレとパワーとスリリン グさなどにおいて抜きん出ており，あまりに圧倒的なので，なんだか聴いては いけないものを聴いてしまったのではないかという不安な思いに駆られてしまっ たほどです。 そんなわけで，これはホロヴィッツの数ある録音の中でも，圧倒的に凄い演 奏が，秀逸な音質で聴くことのできる１枚であり，また，一度これを聴いてし まったら，他の演奏では満足できない体になってしまうかもしれない，麻薬的 危険さを有した録音であることも事実なので，その点を理解した上で，自己責 任で聴かれることをお薦めしたいと思います。
2009.7.18
